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「なあ、おまえやっぱ柔道やらねぇ? 」
「やりませーんー」
 冬場の練習は寝技中心になる。もちろん寝技も大事だし、寒い季節に余計な怪我をしないために先生と相談して自分たちで組み立てたプログラムとはいえ、立ち技でガンガン組んで投げるのが好きな俺にはちょっと物足りない。ちょっとでも面白くしようと熱心に新名を誘うが、ずっと断られ続けていた。
 新名は半年で時給が50円も上がったと嬉しそうに言っていた。頑張ってるもんな。それが認められて、やりがい感じて楽しいんだろうな。こんな時に柔道部に引きこむのはちょっと無理か……残念だけど。

 でも、コンビニで見かける新名は活き活きしてて「俺も負けてられねぇな」って思うし、そんな新名をずっと見ていたい。だから今はしょうがねぇかな。

 
 そんな寒い日、いつものように学校の前の坂道を軽く走って朝練に向かってると、知らない女子に呼び止められた。
 誰だっけ、同じクラスの奴なら顔覚えてるんだけど……
 そんなこと考えてるうちに、小さくて派手な紙袋を押し付けるように渡されてその女子は走り去ってしまった。それで思い出した。そうか、今日バレンタインデーだ。昨日まで覚えてたのに一晩寝たらすっかり忘れてた。
 ああ、やべぇ。でかい袋持ってくるの忘れたな。お袋も朝出るとき言ってくれればいいのに。
 その日は一日、女子やら部活の後輩やら応援団の奴らやらからいろいろ菓子をたくさんもらって、持ちきれないので部室にあったスポーツ店の紙袋をもらって移し替えた。これは来月お返しが大変だ。中には受け取ってくれるだけでいい、とか言う女子もいるけど、こういうのはそういうわけにもいかねぇだろ。

 そんなこんなで当分おやつに困らないぐらいのチョコレートや手作りクッキーなんかを抱えて家に帰った。今日はバイトがないから走りに行く日だ。
(新名もチョコレートたくさんもらってそうだな)
 コンビニで近所のおばちゃんやおばあちゃんとかからかなり気に入られてんの知ってるし、あいつなら普通に学校でもモテてそうだ。
 そんなことを考えながら準備運動をして、いつものコースにランニングに出かけた。
 



「おまえ、そういうディスプレイ似合うな……」
 コンビニのバレンタイン特設ディスプレイ棚で派手派手しいパッケージのチョコレートを陳列してる新名が、その派手さにまったく埋もれてなくて笑ってしまった。
 赤やらピンクやら女みたいな色、男とは不釣合いだと思ってたけど、見た目が派手だからかこいつには似合ってる。
「えーなに、どういう意味―? 」
「言葉通りの意味。つーか、今日バレンタイン当日なのにこんな特設売り場まだやるんだな」
「うん、今日中はね。明日からすぐホワイトデー仕様に切り替わるよ。そしたらバレンタインはレジ横に移動」
 有名洋菓子店のコンビニ限定バレンタインセットなんかも出してるからか当日でもまだ結構売れているらしく、レジ用のカゴ2つ分にたくさん入ってたチョコレートを新名が並べていくと、その端から手に取って選んでる女性客もいる。

「ふーん……なぁ、新名のオススメってどれ? 」
「え、オレ!? っつーか嵐さんが買うの? 」
「最近は男も買うんだろ? 昨日テレビで言ってた」
「あー、うん、まあ……逆チョコとかあるよね……」
 新名は変なリアクションだけど、柔道部や応援団の男連中もみんなくれたし別に俺が買っても変じゃねぇだろ。もしかして自分用に買うと思われたんかな?
 まあ……この俺でも知ってる有名メーカーの詰め合わせのとかは食ってみてぇ気もするけど……でも家に山ほどもらったやつがあるし、さすがに自分で買ってまでは。

 そんなこと考えてたら、新名がちょっと考えながらまさに俺が気になってたやつを指差して言った。
「予算にもよるけど……このあたりならハズさないんじゃねーかな」
「へぇ、やっぱそうか」
 一番前の見本を避けて、その奥のラッピングしてあるやつをニーナが取ってくれる。中の箱は高級店のらしく落ち着いた色なのに包装紙は全部同じピンク地にキラキラしく赤と金色のハートが印刷されてるもので、じっと見てると目がチカチカした。
 けっこう高そうだけど今日は余分にお金持ってきてるから大丈夫だ、と値札を見たら1050円って書いてあってちょっと驚く。

「一個でいいの? 」
「……二個も買う金ねぇよ」
 リストバンドの小物入れから小さく折りたたんだ千円札と小銭を出してたら、新名はいつもみたいにはばたきウォーター取ってきて一緒に会計してくれた。
 レジ袋に入れてもらったそれを提げて隣の公園に移動する。
 

(こんな小せぇ箱で千円もすんだな)
 芝生の上でストレッチしながら、ベンチに置いた今買ってきたチョコレートの入ったレジ袋を見る。
 もしかして今日俺がもらった中にもそのぐらい高いのあるんじゃねぇか。気持ちと値段を容易くイコールにするのは違うと思うけど、誰かのために高価なものを買うことを躊躇わないっていうのはやっぱりそれだけ思いが強いってことなんじゃねぇかな。
 そんなこと考えながらストレッチやってたら、いつもならあとは軽く速足でクールダウンしながら帰って筋トレやるんだけなんだけど、なんとなく「新名、いつ終わるのかな」って気になってしまって、そのままそこの公園で筋トレすることにした。



 あと10分して新名がバイト終わる気配がなければ帰ろうと思ってた頃、公園から見えるコンビニの出入り口から学校の制服にマフラーぐるぐる巻いた新名が出てきた。よかった、裏口とかあったら見逃すとこだった。
「新名」
「えっ、嵐さん!? どうしたのこんな時間まで」
「ああ、筋トレやってたらいつのまにか暗くなってた」

 日が落ちてすっかり冷たくなったベンチの上に置いてたチョコレートの包みを取って、新名に手渡す。
「これやる」
「えっ、これって」
 さっき買ったやつじゃん、って新名がびっくりしてる。そっか、こいつが会計したから包装でわかるし、値段とか中身も全部ばれてんだ。
「おまえにはいつも世話んなってるから」
「世話なんて……そんな、オレ……ていうかこれ、マジでオレに……? てっきり女の子にあげんのかと……」
「なんでだよ、今日は男がもらう日だろ? 」
 チョコレート持ったまま突っ立ってる新名にまあ座れよと、ベンチの隣を示す。

「なあ、ちょっと開けてみろよ」
「えっ、なんで」
 言われるままに隣にぺたりと座った新名の手元を覗き込むようにして言えば、すごく嫌そうに包みを引っ込められそうになった。
 まあそうだよな。わざわざここで開けてみるまでもなく、中身が何なのか二人とも知ってるんだから。でもやっぱ、どんなもんか食ってみたい。
「味見させてくれよ」
「……もー、自分が食いたかっただけかよ……」
 溜息混じりに笑いながら、新名が爪で丁寧にシールを剥がして包装紙をめくっていく。そして、剥がした包装紙を小さく折りたたんでコートのポケットに入れたところでふとつぶやいた。
「あ、そうだ。これだったら何か飲み物いるよな……」
 俺にチョコレートの中箱を手渡すと、新名は立ち上がって公園の出入り口そばにある自販機へ走っていった。
 
「ごめん、細かいのなかったから半分こね」
 そう言って、ホットの缶コーヒーを手渡してくる。
 開けてくれた高級洋菓子店のバレンタインセットは、一部にチョコチップが入ってたり全体をチョコでコーティングしてあったりする小ぶりなクッキーが中心で、確かに新名が買ってくれたコーヒーがなければ口の中の水分をほとんど持っていかれそうなものだ。
 でも高いだけあってさすがに美味くて、ちょっと味見だけのつもりだったのにほとんど俺が食ってしまった。これは、新名が「いいよ、嵐さん食いなよ」って勧めてくるのが悪い。
 新名も最初二、三個食ってたけどあとは俺が食ってるの見てるだけで、手の中でぬるくなった缶コーヒーを交替で飲んでた。

「おまえ、甘いもん嫌いなのか? 」
「嫌い……ってほどでもないけど、まああんま好き好んでは食わねーかな」
「そっか、悪かったな」
「いやいや、嵐さんが食べたくて買ったものだし。ここのやつ美味いっしょ? 」
 空になったチョコレートの箱をポケットにしまいながら新名が笑った。
「ああ。美味かったぁ」
「ははっ。オレは嵐さんがそうやって美味そうに食ってんの見てただけで充分」
 チョコはほとんど俺が食っちまったからせめてと思って、残ってたコーヒーは缶ごと新名に渡してやった。
 手の中のコーヒーをじっと見て、ゆっくり口に運んだ新名を見て、ふともう一つ質問してみる。

「新名ってさ、間接キス平気な方なんだな」
「……っ……!? 」

 噴出しそうになるのをギリギリこらえたように、新名が咽喉からギョルッって変な音出しながら俺を見た。俺、そんなおかしなこと聞いたか?
「……急に…なに……っ、いや……まあ、間接キス……だけど……」
 あー…変なとこ入りかけた…鼻の奥痛ぇ……とかつぶやきながら、新名は真っ赤になってる。
「間接キスとか言われたらなんか照れくさいっつーかさ……普通ヤロー同士の回し飲みでそんな言葉使わねーし……嵐さんなんか体育会系だから、回し飲みとか普通にやるでしょ? 」
 しどろもどろ、って感じで新名が同意を求めてきた。
 そっか、だいぶん前に食堂でジュース一口もらったとき俺、こいつに言わなかったな。

「ああ、俺やらねーんだ、回し飲み」
「えっ」
「回し飲みすんの、あんま好きじゃねー」

「……えっと……なんか、すみませんでした……」
「いや、謝んなよ。新名とは嫌じゃねぇんだ」
「……へっ? 」
 新名が変な顔したから言っちゃまずかったかと一瞬怯んだけど「嫌だ」って文句言うわけじゃねぇんだし、嫌じゃないのは本当のことだしいっか。
「おまえと間接キスすんのは嫌じゃねぇ」
「……え…えっ、それってどういう……」
「どういうって……そりゃ……ぁ、ふぁ……ふぇっくしょん!! ……あー…」
 なぜか恐縮してしまった新名を安心させようと笑って見せたら、豪快にクシャミが出た。

「ちょっ、嵐さん大丈夫!? 」
「悪ぃ、大丈夫だ。でもさすがに冷えてきたな」
 よく考えたら筋トレ終わって新名と並んで座ってから30分近く経ってた。すっかり汗も引いてるから、この寒空の下ジャージだけじゃ冷えるに決まってる。
「冷えたままだとよくねーから軽く走って帰るわ。おまえはどうする? 」
「オレ? オレは……ちょっと頭冷やしてから帰る……」
 新名はベンチに座ったままバイバイと俺に手を振った。
 

 あいつ、制服にマフラー巻いてるだけで(まあジャケットの下にセーターとかは着てるだろうけど)絶対寒いに決まってるのに、すげぇ暑そうだった。
 俺もそうだ。軽く震えがくるぐらい体は冷えてんのに、なんか顔が熱い。

 新名と間接キス、すんの嫌じゃない。
 っていうか、あのときクシャミが出なかったら……直接触ってたかもしんねぇ……

 って、何考えてんだ俺。女ともそんなんしたことねぇのに。
 改めてそんなこと考えてたら、また顔がカーッと熱くなる。軽いジョグのつもりだったのに自然とダッシュのスピードが速くなった。
 

 新名があんなに赤くなってたの、俺と同じ気持ちだったらいいのに。



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